JI1ACIと7M4CQN/1の6Dバトルに寄せて

序文
 98年の6m AND DOWN(以下6D)において、1エリアでは上記二局の熾烈な争いがありました。どうもその火付け役がこの筆者であるらしいということから、感想を求められましたのでここに記します。
なお筆者は電信50でのコンテスト歴は初期も含めると15年になりますが、まじめにやりだしたのはここ5年ほど、しかも理論派にはほど遠い「とにかくやってみる」タイプの人間ですので、その点お含み置き下さると助かります。また筆者は完全な移動屋です。

お二人の印象
 JI1ACI中川氏は、筆者がまだコンテストどころか電信をやりだした1982年ごろ、すでに電信50の世界では右に出るものはいないくらいだったようで、当時筆者は河内長野の実家の屋根馬にマスプロの5エレを低く上げていたのですが、東に山がある状態でもコンテストの度に唯一QSOできる1エリアが中川氏でした。
 1992年に筆者が復活した頃は全く信号を聞かなかったのですが、誰が火をつけたのか1997年頃から突如復活されたようで、ただでさえまぐれでしか取れない全国一位が、また一段と遠のいたなとその瞬間感じたものです。
 一方7M4CQN(=JN2FCL)浅岡氏は、筆者の認識としては移動のマルチバンダ、それも電信電話の世界の人ということで、よぅやるなーと思っていました。しかしある国内メジャーの時に、HFハイバンドをすべてモノバンド八木を上げて参加した(もちろん移動で)と伝え聞き、これはただ者ではないなと感じたものです。また氏はローカルコンテストへの乗り込みなども楽しんでおられ、将来が楽しみな若者だなぁと>頼もしく思っていました。こんな若者になら喜んで追い越されたい、と昨今のコンテスタなら誰しも思うのではないでしょうか?


バトルのきっかけ(?)
 98年6月、尼崎で行われた関西ハムの祭典にあわせ、コンテスタの泊まり込みでの集いが催されました。そこで浅岡氏から「電信50ってどうですか?」と尋ねられ、そこで筆者は間髪を入れずそれまでの疑問を彼にぶつけてみました。それはすなわち「なぜ1エリアの電信50では移動屋よりも固定屋の方が勝つのか?」というものです。確かに設備の差ではやはり固定屋にかなうものではありません。しかしその分をロケの良さやノイズの少なさ、それに家族からのインターフェアの少なさなどでカバーして、3では何とか固定局に勝ってきたものですから、1はそうではないのかなという疑問は常々あったのです。それで、現場の状況もろくに分からないのに「頑張ればきっと勝てる! 同じ移動屋として頑張って欲しい! 君の行動力があれば大いに期待できる!」などとけしかけたからかどうか、氏もすっかりその気になられたようで、やってみますということになりました。


6D当日
 やはりこのコンテストでは移動の場合場所確保が戦況を大きく左右します。関西ではそれほど熾烈ではないと言うものの、何度も場所取りで泣いている筆者は、金曜日の朝から山へ入りました。準備を終えてワッチしていると、早速浅岡氏が出ています。お話を伺うと約束通りC50、しかもアンテナは6エレと8エレの二つということで、両方の信号を聞き比べさせていただいたりして、これはますます頼もしいと感じました。なるほど信号はかなり強く来ています。3から遠いので、QSBはありましたが。
 コンテストが始まってからは、しばらく1の信号は聞けませんでした。いつもなら常連の信号はずっと聞こえているのですが、1←→3のコンディションがもう一つ良くなかったようです。筆者の記録では21時台から01時台まではわずか数局づつでした。1←→3のコンディションが良くなってきたのは02時台のようで、この一時間だけで1エリアと17局QSOしています。筆者がお二人とQSOしたのも、それぞれ0207と0231で、たしかどちらもこちらからお呼びしたものだったと思います。信号は、浅岡氏の方が少し強かったようでした。ちなみに他の1で強かった局と言えば、常連のJE1BMJと最強移動局の一人JK1XDB/1ですが、この4局の強さだけを比較しますと、XDB>>CQN>ACI>BMJとなります。まぁJK1XDB大久保氏は今回も担ぎ上げて最高のロケのところへ移動されていたのと、同じ1でも関西に一番近い17でしたから、なるほどの強さと言うことでしょう。それからJE1BMJ日笠氏とは、21時台のQSOですので単純な比較は無理がありそうです。ただ中川氏・浅岡氏と違って日笠氏の信号は、弱いながらも開始直後からずっと聞こえていました。このあたりは、時々刻々と推移するコンディションに併せてビームを的確に向けるワザに長けていらっしゃるということなのかなと勝手に想像しています。
 残念ながら、筆者の6Dは0700過ぎで終わってしまいました。移動地先の地元の草刈り軍団が突如現れ、撤去命令が出たためです。ですので、その後の状況は全く分かりません。お二方の星取りグラフを拝見しますと、QSO数では00時台から浅岡氏がずっと優位を保ったものの、マルチ数では08時台あたりから中川氏が引き離しています。


結果についての推測
 結果としてわずか200点差で中川氏が勝ったわけですが、浅岡氏にとっての敗因がどのあたりにあるのか、筆者の観点から推測してみます。


そして来年
 マルチバンドでバリバリ全国レベルの人物に、シングルバンドのしかも電信を勧めた者としては、「こんなおもろない部門もぅいらんわ」と言われるかなと思っていたのですが、予想に反し「来年こそはやりますよ!」と力強く言ってくれたので、救われた気持ちです。彼のバイタリティを持って臨めば、強豪1エリア固定局群を撃墜する日も遠くないでしょう。言い換えますと、そこまで苦労させられる中川氏はじめ1の固定屋の皆さんには、いつもほとんど何の策も持たない筆者としては、ただただ頭の下がる思いです。

余談
 今年も車で行ったハムフェアの行き帰りに、そのつもりで1の地形を色々と見回してみました。限られた範囲ではありましたが、1は3と違って関東平野が広い。つまり固定屋にとっては障害となる山が近くにない。そして移動屋に有利な山があまりない。なるほど移動屋がなかなか太刀打ちできないはずだと感じました。


余談その2
 同じ固定屋の前出JE1BMJ日笠氏とも色々お話しさせていただいているのですが、中川氏の場合東京から80kmほど離れていて、東京方向にビームを向けると1の大票田がすっぽりビーム幅に入る、これは大きなアドバンテージだとのことでした。日笠氏は同じ西側の1でもまめに向きを変えないとマルチが埋まらず苦労なさるとか。浅岡氏も日笠氏と同じ千葉ですから、同じような苦労が必要なのかも知れませんね。


あとがき
 長きに渡り筆者の稚拙な駄文におつきあい下さいまして、ありがとうございました。感想などがございましたら、ぜひお聞かせ下さい。あて先は、ji3kdh@bb.mbn.or.jp までお願いいたします。

de ji3kdh 片岡太一 平成10年9月9日