むかしの論文を見つけたので、掲載します。
私としては記念碑的な論文で、感傷的になるところもあるのですが、、専門外の人にとってはまったく意味がない。専門の人にとっても、むかし話のネタにしかなりません。

オリジナリティがあるかと言えば、ないのです。1987年にイットリウム系超電導体が発見され、爆発的な研究ブームが起こったわけですが、米国のグループが超電導体の粉末を銀パイプに詰めて加工するという方法(銀シース法)で、線材をつくったと報道されました。この論文はその研究をトレースしたにすぎません。しかし、イットリウム系銀シース法の論文としてはこれが世界初になったような記憶があります。

実は、この研究を主導したのは私ではありませんでした。当時在籍した研究グループの慣習として論文は年齢の順番に名前をあげていったため、最若年の私がラストオーサーになっています。ふつうは、指導教授のような人の名前が出るところです。
当時、徹夜つづきで研究する中で、結果を論文にして投稿すべきだという声が上がりました。先輩たちが「私は余裕がありません」「僕は英語ができません」としり込みする中で、一番若い私には「おまえがやれ」という指令が下ったわけです。英語で論文を書くのはまったくの初めてだったのですが、1日か2日で書きあげたような気がします。

オリジナリティもなく、完成度も高くはないのですが、私としては初めて論文だったことから思い出深いものがあります。結晶粒界がピンニングセンターとして働く可能性を指摘したのは、超電導屋としての矜持がさせたものだと思います。当時、臨界電流を支配する機構について物理屋が的外れなこと語ることが多かったため、それに反発したのでした。
図10のマルチフィラメント化の試みについては、論文の審査員から「意味がない」という指摘を受けたのですが、「そもそも超電導線のマルチフィラメント化の目的は、磁場下での安定性を得るためで、そのための可能性を実証したものである」とえらそうな反論を書いて通しました。これも超電導屋の誇りがさせたことでした。
液体ヘリウム温度でも、磁場による臨界電流密度が急激に低下する問題は、その後、酸化物超電導体の大きな問題となったものです。これを解決したのは、後輩の飯島さんの2次元配向薄膜の研究でした。

当時、グラフはロットリングで清書していました。図2の中の字が傾いているのは、字を書いた紙を貼りつける時のミスです。パソコンとレーザープリンタでグラフを書くようになったのは1989年以降でした。