1988年の入社案内

以下の文章は1987年にインタビューを受け、当時勤務していた藤倉電線の入社案内にのったものです。
入社3年目の若手社員、話題の超電導を担当しているという理由でお鉢が回ってきたのでしょう。女性のライターの方が来社され、実験室でお話をした記憶があります。私は普通に話をしていたのですが、そばにいた同僚に
  ライターの人はやりにくそうにしてましたよ。
  だって、「テレビはどんな番組を見るんですか?」に「見ません」って答えるんだもの。
と言われました。
会社をほめるための文章ですから、ヨイショが入っているのは当然ですが、ともあれ、当時の私の考えをうまく表現してもらったと思っています。ライターの方の名前も覚えていないのですが、あらためて感謝したいと思います。
  年の表記は「昭和」です。昭和62年は1987年。

62年前半はほとんど休みらしい休みもとれず、大変でした。それまではこの研究室に問い合わせの電話がかかってくるなんて、めったになかったんですけどね。」と、あの超電導フィーバーを振り返って話すのは、中川三紀夫さん。藤倉電線研究所、超電導研究室に所属している。いまや最先端のハイテクとして脚光を浴びる超電導研究をリードする研究者だ。
中川さんが入社したのは60年。当時、超電導はまだ世間一般にはあまり知られていない、比較的地味な研究分野だった。ところが61年末あたりから高温で超伝導現象を示す物質が次々に発見されて様相が一変。実用化に向けて産業界の動きがにわかに激しくなった。しかし、中川さんは「どうも期待ばかりが先行して実質がともなわないという印象を受けますね。」と昨今のブームについて一言。「臨界温度が高くなったからといって、すぐに実用化に結びつくとは言えません。その他の要素、高い臨界電流の確保や安定性など、課題は多い。」と現状を冷静に分析する。
中川さんの仕事は超電導全般に関して基礎に最も近い研究が中心。研究成果の発表も、社内でよりもむしろ学会等で行うケースが多い。超電導の国際会議にも何度か出席し、論文を発表した。
さすがに視野も国際的だ。「現在の超電導研究は世界的にみてもやはり日本とアメリカがリードしています。他の技術もそうですけれどアメリカは基礎研究では群を抜いて強いですね。日本の場合はどうしても応用に傾きがちだと感じます。この分野に限ってはもっともっと基礎研究に力を入れるべきだと思います。なにしろ超電導の技術が本格的に実用化されるまでには、まだまだ長い道程が待っているんですから。」
藤倉電線は創業1885年という長い伝統をもつ企業だ。近いところでは低損失光ファイバーケーブルの開発で話題をさらった。今度は超電導線の実用化で、この分野の最先端を走っている。
大きな期待の中で、中川さんは、「そうですね、10年かかるかもしれません。何かひとつ自分の手で超電導の実用化をぜひとも成し遂げたいですね。もちろん私一人でできる仕事ではありませんが。」と抱負を語る。
学部、大学院の修士課程まで、金属材料研究室に身を置いた中川さん。大学でのアカデミックな研究と企業における研究を比較して、「企業の研究はいくら基礎研究といっても最終目的は実用化にあります。人それぞれ向き不向きはあると思いますが、私にとっては自分の研究が将来、なんらかの製品につながり、多くの人の役に立つ点が非常におもしろいですね。」と話してくれた。
切れ味のいい人だ。早口で淡々と話す。後輩へのアドバイスをたずねると、「入社後は何を任されるかはわかりません。たぶん、自分が学生時代にやっていたことをそのまま継続してやらせてくれる企業なんて、どこにもないと思いますよ。そういうとき、自分で仕事を推し進めていけるようなポテンシャルだけは高くしておけといいたいですね。」と言う。
その中川さん自身、藤倉電線を選んだ理由を、「あまり大きな企業には行きたくなかった。かといって、いまにもつぶれそうなところは困りますけどね。自分である程度好きなことができればいい、と思っていました。」と語る。「この会社を選択して、今のところ自分なりに正解だったと思います。」
普段着の中川さんは、かつてアマチュア無線に凝って、いろいろな小道具をつくった。忙しくなった今、休日はもっぱら読書。スポーツはほとんどやらないとか。「本当は何かやるべきなんでしょうね。いつか必要に迫られたら何かやっていると思いますよ。」と実に合理的、自然体でいながら、存在感のある、夢の超電導実用化のリーダーだ。


これとは別にもうひとつ新卒者募集パンフレットに載ったことがあります。
カメラマンが来て写真を撮るというので、「背広を着るべきですか?」という意味で「どういう服装がいいですか?」と事前に聞いたのですが、「ふだんどおりでかまいません」と言われ、作業服のままカメラの前に立ったら困った顔をされました。
社内の通路で写真を撮っているとき、女子社員が「なんで中川さんの写真撮ってるの?」というから、「いい男の写真を撮りたいそうだ」といったら、鼻で笑われました。

パンプレットの校正刷りができてきたとき、私にはまるで無関係な文章がついていました。
「実験の時にはタグホイヤーのストップウォッチを離さない」とか「日が暮れるとオーディオビジュアルライフ」なんて書いてある。本当にタグホイヤーってなんだか知らなかったし、アパートにはテレビもない生活でしたので、抗議したのですが相手にしてもらえませんでした。